「世間からどう見られているか」より「世界をどう見ているか」
- ベルワンカイロプラクティックルーム
- 3月6日
- 読了時間: 2分
私たちは、感覚を通じて、ちゃんと現実を受け取っているつもりでも、
脳がかなり補完しているというのは、脳神経科学でも以前からよく言われています。
例えば、「固い」、「赤い」といった感覚も人それぞれ違っていて、
かなり主観的だということは、身近な例としてはとても分かりやすいです。
私たちは、堂々と世界を捏造しながら生きていると言えます。
でも、こう考えてみたらどうでしょうか。
どうせある程度“推測の世界”を生きているのなら、
「他人にどう見られているか」よりも
自分が他者や世の中を「どう見ているのか」のほうが大事なのではないかと。
私たちの注意は、しばしば「他人の目」に向きます。
他者評価中心
外部基準
緊張
比較
不安
この状態のとき、私たちの意識は「いま・ここ」にはありません。
自分が想像した「他人の頭の中」で、評価されることに悩み続けています。
その結果、身体の感覚はどんどん薄くなり、言葉や行動もどこか縮こまっていきます。
一方で、注意を自分の感覚に戻すと、状況は少し変わります。
身体の固有感覚中心
内部基準
安定
選択
距離
身体の固有感覚が明瞭になると、「どう見られているか」よりも
「自分はどう感じているか」へと軸が移ります。
わたしたちは「どう見られているか」を気にしているとき、
私の意識はぜんぜん“いま・ここ”にありません。
自分が勝手に作り上げた「他人の頭の中」で、
評価されることに煩悶しています。
そうなると、身体の感覚はどんどん薄くなっていきます。
結果として、自分の発言や行動が、どこか縮こまっていく。
でも、「いま、ここに存在している」という感覚は、
それとは確かに違っています。
何も神秘的なものではなく、ただの事実です。
呼吸している
足の裏に床がある
重力を感じている
視界が広がっている
これらは推測ではなくて、
いま入ってきている、生の感覚入力です。
注意の向け方が変わると、選択が変わる。
選択が変わると、結果の確率分布が変わる。
スピリチュアルの世界では「引き寄せの法則」というものがありますが、
「注意の配置が、行動の傾向を変える」
そう考えると、これは必ずしも神秘的な話ではなく、
むしろ合理的な仕組みにも思えてきます。

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